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(TдT)心から泣ける話(TдT) より

この記事の所要時間: 749

3:
交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。
そのプリントは、交通事故についての注意などが書いてあり、
その中には実際にあった話が書いてありました。
それは交通事故で加害者の立場で亡くなった人の家族の話でした。

残されたのはお母さんと子供たち、上の子が小学二年生、
下の子が五歳の男の子の兄弟です。

この人たちは、事故の補償などで家もなくなり、
土地もなくなり、住む家もやっとのことで四畳半のせまい所に
住めるようになりました。
お母さんは朝6時30分から夜の11時まで働く毎日です。

そんな日が続くある日、三人でお父さんのいる天国に行くことを考えて
しまっていました。
(以下、プリントから)


4:3
朝、出かけにお兄ちゃんに、置き手紙ををした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。
それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、
おしょう油を少し入れなさい。」

その日も一日働き、私はほんとうに心身ともにつかれ切ってしまった。
皆で、お父さんのところに行こう。私はこっそりと睡眠薬を買ってきた。

二人の息子は、そまつなフトンで、丸くころがって眠っていた。
かべの子供たちの絵にちょっと目をやりながら、まくら元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。

「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。
お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。
でも、けんちゃんにそれをだしたら、
「お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。」
と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。
ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、
お豆のにかたをおしえてください。でかけるまえに、ぼくをおこしてください。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。
お母さん、おやすみなさい。」

目からどっと、涙があふれた。
お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供たちのまくら元にすわって、お兄ちゃんの煮てくれた、
しょっぱい豆を涙とともに一つぶ一つぶ、大事に食べました。

5:3
このお話を読み終えたとき、私と母の目から、涙が出てきました。
そうして、何度も、何度も、くり返し読みました。
私は、今まで、交通事故は被害者だけが悲しい思いをしていると
思っていましたが、このお話を読んで、加害者も、私たち以上に悲しくせつない
思いをしていることがわかりました。

毎日、毎日、日本のどこかで、こういう子供たちが生まれているのかと思うと、
とてもたまりません。
どうか、お願いです。車を運転するみなさん、交通事故など、
絶対におこさないでください・・・・・。

47:
父の伯父のKさんは4歳程度の知能の、いわゆる知恵遅れな人だった。
歯のない口で、同じことを何度もふにゃふにゃと喋る人だった。
特に病気など持っていなかったが70才以上の高齢で、いつも汚らしい服を着て
雑多とした部屋で寝ていた。口から涎が垂れたりして、子供の頃は気にならなかった
些細なことがだんだんと我慢出来なくなり、小学校を卒業する頃には既に会話は全く
無くなっていった。

おぼつかない足取りで町を徘徊し、時々行方不明になることもあったKさん。
あの日も夕飯の時間はとっくに過ぎているというのにKさんの姿は見当らなかった。
また町に出掛けているのかも知れない。警察に電話する前に、母が家の周りを見回り
に行き戻って来て、言った。「Kさんが死んでる!」
あまりに急なことで、全然信じられなかった。父も確認しに行き、「あれは死んでる」
と首を振る。信じられなかった。昨日は何も変わりなかった筈なのに。

翌日、内輪だけの通夜が行われた。父の馴染みのお坊さんがお経を読み終えると、
参列者の方へ向き直り語り始めた。
昔のことなので断片的だけれど、お坊さんの話はこんな感じだった。

「……Kさんは生まれながら頭にハンデを追っていました。しかし本当に心の清い
方だった。Kさんはよく私の寺の庭へ掃除をしに来てくれました。Kさんはきっと
仏の近くへ行けるでしょう。むしろ私は思います。頭のハンデは、天からKさんへ
の贈り物ではないかと。人は賢いほど俗物へ近づいてしまいますが、逆にKさんは
とても純真な方だった。彼は決して無駄な人間ではなかった」

私はお坊さんの話に驚いて、Kさんの遺影を見た。
そこには子供のように無邪気に皺を寄せて笑う、Kさんの顔があった。
涙がどんどん溢れてきた。
私みたいに何もしていない奴に泣く資格なんてない。
けれど、どうしても涙が止まらなかった。
もっと労わってあげたら良かった。もっと大事にしてあげられたら。
私は頭が足りないというだけでKさんを何処かで見下していたことに気づき、そして
心から後悔した。
恥ずかしくて俯いて、袖を目にあてた。涙の染みは広がっていくばかりだった。
Kさん、本当に、ごめんね。

50:
最近、ある文章を読んですごく感動した。
ドラゴンズ・ファンの皆さまにぜひ読んで頂きたいと願って、ご紹介します。
 その文章は、東京新聞(中日新聞東京本社発行)の販売関係の幹部社員研修会で、
Kさんという方が話された内容を記録したものということである。
 昨年秋、中日ドラゴンズが11年ぶりに優勝を決めた数日後のこと。
北関東を担当するKさんは会合に出て遅くなり、タクシーに乗った。
運転手が『ジャイアンツが優勝できなくて残念でしたね』と話しかけてきた。
北関東はジャイアンツ一色の土地柄であり、
Kさんも当然ジャイアンツ・ファンだろうと思ったらしい。Kさんが
『いや、私はドラゴンズの関連会社に勤めている者だ』と言うと、運転手は
『そうですか、ドラゴンズの関係者でしたか。実は、私も平成9年の暮れから
ドラゴンズの熱烈なファンになりました。特に星野監督さんの男気が好きなんです』
『お客さん、もしお耳障りでなかったら、聞いていただけませんか』。

51:50
運転手はこう言って、話し出した。
 ◆(以下はタクシーの運転手さんの話である)
 私は生まれた時からジャイアンツの洗礼を受けて育った者です。
両親も弟も親戚もみんな、野球はジャイアンツでした。
私の弟は名古屋で葬儀社の運転手をしておりまして、
偶然星野監督の奥さんの葬儀の霊柩車の運転をさせて頂きました。
出棺の際、監督は大勢の弔問客に涙をこらえながら
『妻はナゴヤドームでお父さんの胴上げを見たいね。それまで生きていたい、
と言い続けていました』と挨拶しました。
 いよいよ火葬場へ出発の段になって、星野さんは後続の運転手に
何事か話し、霊柩車には自分一人にしてくれと言って、出発しました。
星野さんは弟に『運転手さん、ナゴヤドームヘ行って下さい』。
 前例のないことに、弟は『ナゴヤドームですか?』と驚いて聞き返した。

52:50
霊柩車はそぼ降る小雨の中、ドームを一周し、
雨よけのひさしのある所に止めた。
監督は『運転手さん、家内の棺を出したいので、
手伝って下さい。全部下ろさなくてもいいですから、
下ろせる所まで下ろしたいのです』
弟は何事が起きるかと恐れながらも、それに従った。

53:50
棺は頭の方を車にかけ、斜めに下ろされた。
すると監督は『運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい』と言って、
棺にすがりついて号泣した。
『なぜ死んだんだ。ドームでパパの胴上げを見たいね、
それまで頑張ると約束したではないか。かあさん、なぜ死んだんだ!』
弟は感動に打ち震えながら、監督に負けないくらい泣いたとのことである。
監督は『必ず優勝して見せる。かあさん、見守っててくれ』と言って、
火葬場へ向かった。
弟はその年の暮れ、正月前に休暇で帰った際、
親戚が集まった席でこの出来事を涙ながらに語った。
弟はこの日のことは一生忘れないと言ったが、
私たちだって星野ドラゴンズを決して忘れない』
 ◆この話を聞いたKさんも、それを話す運転手さんも泣いた。
『お客さん、この話は初めて人に話すことなんです。誰かに伝えたいと、
いつも思っていました。今日、やっと弟の感動をお客さんに話すことが
出来ました…』
Kさんはタクシーの運転手の話を通して『男・星野』を熱く語った。
会合の出席者は涙にうるんだ瞳に、星野監督のドームでの情景を思い描き、
改めて優勝を誓った闘将星野と、それを実現させた選手諸君の執念に
感激を覚えた。

 (文章の筆者は『中日新聞研修センターCMC・篠原弘明氏』)

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