2ちゃんねるやネットの泣ける話をまとめた涙腺崩壊系の感動読み物サイト。

末期ガンの祖父

この記事の所要時間: 158

昨年ガンが転移しもう手遅れとわかった祖父が今年の1月4日に逝った。

ガンと知るまでは「腰が痛い」と夜中に起きてくる祖父に対し、
辛辣な言葉を投げつけ部屋を移動し受験勉強をしていた。

大学に受かったとき「良かった」と一番喜んでくれたのは祖父だった。
「夏を越せないかもしれない」そう医者に言われていた夏になった。
病院の個室でエアコンもきいているのだが徐々に弱っていく祖父がいた。
俺は体育会の厳しい部活が毎日あり、ほとんど家に帰れなかった。

それでもなんとか秋になり、少し持ち直した。
ガンは神経を侵し、腰の骨を溶かしているという。
痛みを止めるために打つ強いモルヒネ・・・副作用で意識が薄れていた。
緩和ケア病棟というホスピスのようなとこに入り、ただ痛みをとる治療が始まった。
食事もとれず点滴だけの祖父はいつの間にか骨と皮だけになっていた。
「もう死にたい・・・」と看護する母に何度も訴えた。

12月30日、「家に帰りたい」と祖父がつぶやいた。
「医者と相談して帰れるうちに帰ろう」ということになり、たくさんのモルヒネを渡されて帰宅した。

庭につもった雪を見て「綺麗だ」とつぶやいた祖父。

熱で朦朧としながらも家に集まった親戚一人一人に握手をした。
そして1月4日、祖母との結婚記念日を待つかのようにして朝方静かに旅立った。
傍で寝ていた家族を起こすことなく、痛みがなくなったかのように安らかな寝顔だった。

祖父からもらったお年玉・・・四万円。
葬儀が終わった後、開けてびっくりした。
「お父さん、おじいちゃんがこんなに・・・」
「おじいちゃんがなぁ、『これで最後やし・・・』って言ってなぁ・・・」
・・・涙が止まらなかった。思い出と後悔が湧き出てくる。
俺は祖父に育ててもらったようなものなのに思春期を迎えてからひどいことばっか祖父にしていた。

「死」を意識しだしてから祖父は何を思ったのだろう。
最後に家に帰宅したとき何を感じたのだろう。
おじいちゃん・・・俺、おじいちゃんみたいに立派になるよ。
葬儀に何百人も来て泣いてくれるような、そんなおじいちゃんを尊敬する。
ごめんな、あんま会いにいけなかってごめんな。
夢にでも出てきてくれないかな??
会いたいです。謝りたいです。

この記事が気に入ったら
いいね!してね♪

 閲覧回数:2,995 PV
 評価:12345 0.00 (0 件の評価)
Loading...Loading...
 タグ:

関連記事

ピックアップ

他サイトの更新情報

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

検索

アーカイブ

2017年4月
« 6月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

泣けるコピペtwitter